アートセラピーの授業をうけている絵を描いてる人です。
夢を語るのに欠かせないのが、錯覚現象。
夜目をつむっていると、眼はプルプル動いておりです。真っ暗闇な映像が常に送られ続いているのです。(あくまで自論です。眼が動いてるというのは事実だとどこかにありました。
その真っ暗闇、および瞼を透過して感じられる光を、自分の知ってる何かに置き換え記憶し、夢をみたと人は言うのです。(あくまで脳科学にはド素人な僕が言うのですから根拠はないです。
その置き換えこそが、錯覚。
この絵には、おじいさんか、農作業をしている方々か...どちらが見えますか?
少なくとも、一枚の絵からいくつかの見え方ができるはずです。
左下に寝転んでいる、キツネ。これは、犬ですか、クマですか、はたまたおじさんの手。
僕は絵画を趣味としていますが、描きたいものの風景や単語(山、川など)を考えながら、白いキャンパスを見つめていると、ぼんやりと線が見えてきます。
光のグラデーションや面の凹凸から、線が見えてるのかもしれません。星座やこの錯覚も同じです。
意識せずに、つながってしまう。これってなに?答えるときに、○○に似ていた。
うねうねしたものであれば、蛇、スライム、ねばねば、触手。など、知っている単語へと置き換えられていく。
夢が生きるヒントに
もし、ロマンチックな夢を見たのなら、見えた一つ一つには、別の見方があるかもしれない。熊=体のでかい人=声がでかい先
認識した対象が自分のなににつながっているかもしれないと、考えれば夢は生きるヒントになるかもしれない。何かを思い出すヒントになるかもしれない