母が盲の人を助けようと声をかけときの話だったんだけど、話が飛んで、手話サークルの活発なお友だちと盲のサークルの代表が協力して買い物をしたっていう話。
加えて、その二人が意気投合したことが友達になったきっかけになったみたいだけど、その意気投合した原因が、その二人が参加した市の議会の情報保障の不備なんだって。
手話サークルの活発なお友だちは片耳が聾で片耳は補聴器をつけてるお方。
情報不備に関して、自身はその議会を開催した人は、毎年恒例の行事で、去年行った内容と同じように、参加者に電話で催促して時間に会議室を予約してその時間を過ごして解散すること、と考えているように感じました。
つまり、議会に必要なことをすっ飛ばしてるように感じたってわけ。
障がい≠特徴
みたいな考え方から来るもんなんじゃないかな、
見えない人は聞こえる人。聞こえない人は見える人。みたいな特徴づけされてるんかな。健常者は見えるし聞こえる。フル活用してるわけ。
1.見えないけど聞こえる人には、音だけでなく点字仕様のプリントも必要。
たしかに声を聞けば、内容は確認できる。でも、健常者は耳だけでなく文字情報のプリントももらってるよね。
2.聞こえないけど見えてる人には、文字プリントだけでなくスクリーンに字幕の投影が必要。
文字情報のプリントで内容が確認できる。でも、健常者は文字情報だけじゃないよね。
できないっていうプレッシャー
障がい者に健常者が合わせてくれてることに、プレッシャーを感じがち。だけど、情報を得られる保証として配慮があれば遠慮なく意見が言える。
聞くだけでなく、見ることで情報の確認が取れる。健常者は普段から情報の確認をしているようです。(どっかで聞いた覚えがあります。)いずれ書き加えます
障がい者の特徴=福祉用具の装着?
健常者どうしの特徴は、洋服や行く場所または好き嫌いの傾向、といったものに現れる。見た目や行動範囲そのものが特徴になり、それが話題に上がり、いつのまにか充実した生活につながっている。
障がい者の特徴を、健常者から見れば福祉用具と見てもおかしくない。しかし、障がい者どうしではそれは特徴にはならない。
ほんとうに注目されるべき部分は福祉用具ではなく、洋服や行く場所または好き嫌いの傾向である。
(福祉用具は下着同等の必要性であり、見せる必要性のないものである。
(ヒーローものや、ヒロインもの、、遊び道具の機能付加など、特徴になりえる場合もある)
障がい者:健常者=おとこ:おんな
おとことおんなは、本質的に同じです。ひとであり、母からうまれ、教育施設に通い、性的な行為に人なみに興味を示し、見た目を気にし、他人に興味を示す。またやりたいことをやって、嫌なことはやりたがらない。そして仕事をし、人生を全うする。
おんなになにか、幻想を抱きがちな男子。みたいなことが、障がい者と健常者の間に意識のずれが生じている。
障がい者だって、旅行に行くし、世界一周する人もいるし、会社勤めの人もいるし、開発者してる人、アイドルしてる人。アクティブな人がいっぱいいる。かわいそうな人間じゃない。
生活しやすいように改善してほしいと声をあげてるだけ、むしろそれがあれば 「障がい者だけど、がんばれ」も「障がい者なのに、できてすごい」 もいらない。「僕、私、俺らにできないことしてる、すごいや!」っていう言葉がほしい。
...ユニセックスが浸透していく感じ!!
社会的包括的な教育=インクルーシブ教育。の世界的推進
そんなことが制定されたのが1994年であり、2010年には日本国内でもコレの法的整備を開始。
東京造形大学では、年になんどか校内ギャラリーを活用して、養護学校の生徒と交流をしお互い興味のあることについて、話し合ったりしています。
まだ、始まったばかりのバリアフリー化、インテクルージョン、インクルーシブ化。
高齢化社会もあいまって、今後急速に浸透していくと考えています。
完全に障がい者が完璧な福祉用具によって補完され、健常者と障がい者が分け隔てなく過ごせる社会になるといいですね。