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3日目に...早速のフラグ回収

執筆者の写真: goraimasakigoraimasaki

3泊4日となった一人旅の旅行行程を描いておくぞォーっ 北海道行くような方は参考にしてくれたらいいな!収穫はあったから、余裕ない人は最後だけ見ていくのもアリだぞぅ!

現地では住民に話しかけられるし、警察の人に職質(?)されるし...これ以上継続したら捕まる!と判断して、帰ることを選択せざるを得ず、仕方なく親の住んでいる家に舞い戻ってまいりました。

・・・出発前に書いたフラグの通りになりましたね。

事前に設定していた『帰る条件』に奇しくもハマってしまいました。

 

1日目

 家から藤沢駅から東京駅から新函館北斗駅から札幌。

札幌で野宿。

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2日目

 札幌から士別駅に行き、士別駅周辺で支度を整え名寄駅に向かう。

そこからバスに乗り換え幌加内町に向かい、

夜が更けるまでスコップを使い計画を進める。幌加内町で野宿。

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3日目

 早朝、職務質問を受ける。住民と警察に発見され、函館まで戻りホテルにて次日に家に連絡。

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4日目

 函館駅から藤沢駅まで、乗り継ぎ帰る。

家族会議、深夜まで具駄話は続いた。

 

出発した日

兄がちょうどキャンプに行くというので、そのタイミングを後追いする形で出発することにしました。

事前の作戦では、親が起きる前に出発するつもりで始発の電車を狙っていました。ドアや窓をガチャガチャする音で起こしてしまう不安で躊躇していました。

数パターンの出発時間を考えており、11:30の電車のパターンで行こうとタイミングを見計らってると、なんということでしょう!10:30ごろ一人暮らししていた兄がキャンプ用具を借りるということで家にきました。ので、このタイミングなら気に留められることはないと思い、兄が出かけるタイミングを見計らって出発しました。

4階のドアから出たあとに下を見ると、兄がキャンプまで運転する車がまだ出発してなかったようでそれが先に動き出すのに合わせて不自然に見られないようなスピードで階段をおりていきました。

家から藤沢駅

「キャンプ用の椅子を持ちだすのを忘れてた」事に気づきながら、戻って親バレという危険は冒せないと思い、最初から考えてなかったことにして捨てていくことにしました。この時はまだ、現地で深い後悔に祭悩まされるとは知らず...。

電車に揺られて藤沢から東京駅

前日の荷物準備や今朝の緊張感による疲れや開放感からか、眠気に襲われ、スーツケースを股に挟んで座り込みうとうとしながら眠りにつきました。ドアと席の間にある小さな三角スペース隙間から見える外を見ながら「この電車の中に北海道行くやつがいるなんて思いもしないだろうな」と思いながら夢うつつ。

東京駅で新幹線まち

切符を買うために切符売り場に向かう。ただし、自動券売機をさがすものの見つかる前に窓口で切符販売しているのを発見する。ずいぶんと並んでいるのを不審に思いつつ並びました。自動券売機はなかったのかなーと疑問視です。

買う時に、札幌に行きます。そこまでの乗車券がほしいです。と話すと、事前には把握してなかったのですが2通りの行き方があったみたいで「岩内町のほうか、室蘭市のほうか、どちらがいいですか。」といわれたのですが、小樽のほうか、それの反対側ということみたいで、「岩内町(小樽)のほうでお願いします。」という話をしました。

当日に購入したので、見逃して何本か後の新幹線に乗ることにしました。間近の発車時間である新幹線の席が取れなかったです。

そのための待ち時間ができたので、待合室に向かい本を読むことに決めました。待合室は、家族で来たや就活で来たときがあったので、驚きはしませんがいつも通り満員電車ぐらいみっちり人がいました。空いた席にすかさず座り込み、近くを通りかかるおじいさんや3歳児を横目に会釈して手を振ってしながらも、席譲りだけは無視を決め込みました。

その時に読んだ本

読んでいた本は「あの花の名前はまだ知らない。【上】」でした。

~小学生が平和バスターズという名のもとに集まり活動した思い出の断片を高校生に成長した彼らが思い出しながら、当時のメンバー1人を中心に『お別れ』という裏キーワードを軸にして進んでいく~

ゴライ自身のなかで、幽霊のような存在を信じない主人公と自分が持っているものを信じようとしている自分が重なった。

思い出の語り部をみていると、壁画を描いているとき、個展を開いて車で搬入に向かうときに感じていた自分の選択に従って、自分が主人公やっている時の楽しさを思い出した。 「転ぶぐらいなら飛んでやる。」このセリフと「自分で自分を苦しめるくらいならホームレスになってやる。」この思いがリンクした。

幽霊が現れたのって、いろいろ謝れるしすごいチャンスなんじゃない?これには、後悔してしまうのかな。現地就く前に早速思ってしまう。

こんなことで戻ってたら、マザコンか家に執着しているように感じて、また惹かれるものが多いのは自分の感性が感じやすくて敏感だからである。だから、それはそこまで重要なことではないと決めて、踏みとどまった。

読み終わり際には...幽霊の存在を確かなものであると確信を得る瞬間で、同時に信頼関係が戻っていく瞬間に感動した。

2日目の士別駅に到着したときには札幌を始発に近い電車で出発したにもかかわらずお昼近くになっていました。

このときに最後の晩餐だとおもって、(クマがやってる冬眠するまえにたらふく食っておくアレ)をしようとして、お店の中にあるおみやげ屋さんのカップラーメンを食べました。

→待合室に到着→うろうろする。→めしや発見、→閉じてる、→おみやげ屋さんで物色、→カップラーメン発見、→これください、→お湯入れてもらえますか、→写真イラストを発見、→牧場があるんですねー、→隣のテーブルで食べて良いからな、→ありがとうございます。→今後の活動計画と地図を眺めながらカップラーメンをくった。

後日談になりますが、ボランティアの面接ですっぽかしそういえば一人旅のカップラーメンは有意義に悲しくなることもなく嫌な思いをすることもなく自分の意志通りに過ごしたことを思い出しました。

おそらく、待合室に入ってからカップラーメンをくうまでの間は気持ちより生命維持の食欲が意識が強かったように思います。おみやげを買おうとも思いませんでしたし、駄菓子でもチュロスでも食えそうで腹持ちがしそうなものを何でもいいからと探していました。カップラーメン見つけてあるじゃんラッキーって感じ。

脊髄反射に近いもの。

例えば、aとbが会話をするときにa1を聞いてb2で答えてb3を聞いてa4で答えてa5を聞いてb6で答えるのが正常だとして、a1聞かれてb6で答える。2~5を謎の計算式で解釈して6をだしてる。自己満だし、正解する可能性が極めて低いし。異常だと思う。

「a1を聞いてb2で答えてb3を聞いてa4で答えてa5を聞いてb6で答える」ように、問題や課題で現実世界(精神世界や想像の範囲ではない世界)に示されていることに対して、直接的に感和える必要がある。

また、ほかの不必要な思考回路をシャットアウトする能力。が必要だ。

そして、行動原理は原理であって表面的なものではな。自分が自分の経験や体験によって作られた自身の感情に直接的に結び付けられる物を収集して作り出した過ごしやすい空間である自室を思い浮かべることが原理になりえるのではないだろうか。

以降は簡略

家に電話いれたときに「は?もどんの?」っていわれて「は?」っておもったわ。そんなんいうなら、「すきなだけやってきな」っていう言葉をいえやw「戻ってこなくても困らないからやるだけやって、無理になったら戻ってきな」ってことやんな、気持ち的に。

自分の考え方

結局のところ、自分の考えが正しくないことを自覚しないといけないんだけど、他人の言葉では納得できる気がしない。少しはこのおでかけで、理解したつもりだけど、自分を全否定できるようなことは見つからなかった。

自分が正しいとおもって楽しくやって、充実感を得ているのにも関わらず、不審者扱いされるところから、自分が車椅子に使命感を感じているから車椅子に向かうというのは、否定すべきかも、気の迷いなのかも。(他人からすれば不審者扱いなみに、不自然にみえてるのだろうという納得を得た)

ただ、これから車椅子をかんがえていかないのか。といえば、大学生期間に考えたことや知識や障がい者と健常者のギャップについてなどの、体感したことは否定できないし、気の迷いでもなく、確かに自分の武器になっていると思う。

職質されたときに、北海道のこんな田舎にスコップをもってくるような人は滅多にいないといわれたときに、世界で一人しかいない感覚が得られた。

自分の存在価値はこの不審者に見えるほど常識から逸した思考と実行力にあるのかもしれないと思った。

これは、周囲と話し合いやコミュニケーションするためには向かないが、膠着状態を破るためにには強いのではないだろうか。

結局

「行動に起こしたって結局わかられない」ような感覚になる。

「行動しないと周りからは見えない」それで理解されるわけでもなく。オープンマインドとかいうけど、それはそれ。

1日数百円で過ごせることを知れた。1日に1000円も使えたら贅沢できるように感じた。

まとめると

周りを見ないように耳をふさぐより、周りが見えないほど必死になれる最低な環境にある方が、自分のしたいことができてオープンマインドになれるように感じた。今回の旅は対人ではなかったけど、自分がすべきしたいとおもうことができたように思う。

家の中にいたら、家族が死なないかぎり、理解できなかった感覚に思う。

周りを見ないように耳をふさぐ状態や視線を落とし気味に歩くような状態にあるとき、、もしかしたらそれはオープンマインドではない状態なのかもしれない。なにかを失うか新しいかじりついていられることを、始めなければならい状態にあるといえる。

こんなことを感じました。

(働きたくなったとは言っていない)

車椅子に関してはより自分の適性のあるジャンルに感じた。社会的マイノリティの声をきく方に自分の強みがあるように感じた。

 

●周りを見ないように耳をふさぐ状態や視線を落とし気味に歩くような状態にある時、

もしかしたら、それはオープンマインドではない状態にある。

噛り付いていたいと思えるほどに、最低限まで失うか / 失ってはいけない何かを始めなければならない。

 

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